「未払い残業代を請求されたら、会社は何から手をつけるべきか」

2026.08.23

中小企業の労務問題で、未払い残業代が発覚すると、経営者はまずこう考えがちです。

「結局、いくら払えば終わるのか」

もちろん、過去の未払い額を把握することは重要です。

しかし私は、この問題の本質はそこではないと考えます。

本当に怖いのは、未払い残業代そのものではありません。

会社の利益が、記録されない残業によって成り立っていた可能性があることです。

過去分を精算しても、翌日からまた同じ働き方が続けば、問題は何も解決していません。

相談事例

ある空調・給排水設備の保守メンテナンス会社を想定します。

年商は約21億円、従業員は約100名。

商業施設、オフィスビル、病院などの設備保守を行っており、大手ビル管理会社との取引が売上の半分以上を占めています。

問題が発覚したのは、約45名が所属する保守部でした。

基本の勤務時間は8時30分から17時30分です。

しかし実際には、

  • 開館前の点検
  • 閉館後の作業
  • 休日の緊急対応
  • 夜間の顧客対応
  • 帰社後の報告書作成

などが発生していました。

2年前、大口顧客との契約が増え、保守物件数は約25%増加しました。

ところが、人員はほとんど増えていません。

社長は保守部長に、

「人が採れるまで、現場で何とか回してほしい」

と伝えていました。

その結果、現場では少しずつ、

「残業はする。しかし勤怠には全部付けない」

という運用が定着していきます。

「残業を減らせ」が「残業を付けるな」に変わっていた

会社としては、残業時間を減らしたいと考えていました。

それ自体は当然です。

しかし現場では、

「残業が多いと本社から怒られる」

「19時くらいまでなら申請しなくてもいい」

「仕事が遅い分まで会社に請求するのか」

という発言が管理職から出るようになりました。

この状態になると、会社が見ている勤怠データと、実際の働き方が乖離していきます。

帳簿上は残業が減っている。

しかし仕事量は減っていない。

人も増えていない。

それでも顧客対応は維持できている。

私は、このような状態になったら、

「現場が頑張っている」のではなく、「どこかに見えていない労働時間があるのではないか」

と疑う必要があると考えます。

問題が表面化した

若手社員から、

「タイムカードを切った後も仕事をしています」

という申告がありました。

ところが会社は、保守部長へ確認しただけで正式な調査を行いませんでした。

その後、退職予定の社員が、

「Googleマップの移動履歴もある」

「業務LINEも保存している」

「勤怠と実際の時間が違う」

と話し始めます。

内部調査をすると、実際に、

  • 勤怠上は18時退勤なのに19時台に業務メール
  • 20時台に顧客対応
  • 休日に業務チャットへ返信
  • 早朝に社用車が出庫

という記録が複数見つかりました。

ここまで来ると、単なる一部社員の申告ではありません。

勤怠管理そのものが実態と合っていない可能性を考える必要があります。

この問題の本質

私は、このケースの本質は、未払い残業代の金額ではないと考えます。

本当の問題は、

正しい人件費を計上すると、この事業は今の価格と人員で本当に利益が出るのか

ということです。

保守物件は25%増えた。

しかし人員は増えていない。

夜間・休日対応も続いている。

それでも利益が出ている。

もしその利益の一部が、記録されていない労働によって作られていたのであれば、今まで見ていた利益率そのものを疑う必要があります。

未払い残業問題は、労務問題であると同時に、原価計算の問題でもあります。

よくある失敗

よくある失敗は、退職者との和解を急ぐことです。

退職予定者3名に一定額を支払い、

「これで終わりにしよう」

と考える。

短期的には合理的に見えます。

しかし在籍社員にも同じ働き方が残っていれば、問題は続きます。

もう一つの失敗は、

「残業申請がないのだから会社は知らなかった」

と考えることです。

実際には、管理職が残業していることを知っていた、顧客対応が夜まで続いていた、メールやチャットが残っている、ということがあります。

形式的な申請だけではなく、実態を見なければいけません。

私ならどう考えるか

私なら、最初に過去の金額計算を完成させようとはしません。

まず、今日から新しい未払いを増やさない状態を作ります。

具体的には、

  • 実際の始業・終業時刻を正確に記録する
  • 固定残業代の対象者も実労働時間を記録する
  • 残業申請を抑制しない
  • 過去のメールやチャットを削除しない
  • 申告した社員に不利益な扱いをしない

という運用を直ちに徹底します。

なぜなら、過去を調査している間にも未申告残業が続けば、会社のリスクは毎日増えていくからです。

証拠を先に守る

次に重要なのが証拠保全です。

私なら、少なくとも、

  • 勤怠データ
  • 業務メール
  • 社内チャット
  • 業務LINE
  • PCログ
  • 車両GPS
  • 入退館記録
  • 電話履歴
  • 作業報告書
  • 顧客対応記録

を可能な範囲で保全します。

ただし、GPSが動いていた時間をすべて労働時間と決めつけるわけではありません。

メールを送った時刻だけで、そこまでずっと働いていたと決めるわけでもありません。

客観資料と本人へのヒアリング、上司の認識などを組み合わせて、実際の働き方を再構成します。

固定残業代があっても勤怠記録は必要

このケースでは、固定残業代についても誤解がありました。

現場では、

「固定残業代が入っているから、一定時間までは勤怠を付けなくてよい」

という理解が広がっていました。

私は、ここも早急に修正する必要があると考えます。

固定残業代は、労働時間を記録しなくてよい制度ではありません。

実際に何時間働いたのかを把握しなければ、固定部分を超える時間外労働があるかどうかも確認できません。

制度を導入したことと、制度が現場で正しく理解されていることは別です。

保守部長だけを悪者にしない

今回、保守部長は、

「昔からこの業界はこういうものだ」

と主張しています。

もちろん、残業申請を抑制するような発言が事実であれば、管理責任は確認する必要があります。

しかし私は、保守部長だけを切って終わらせることにも慎重です。

会社自身が、

「人が採れるまで何とかしてほしい」

「残業も減らしてほしい」

「顧客サービスは落とせない」

という複数の要求をしていた可能性があります。

人を増やさない。

残業も増やさない。

仕事量も減らさない。

この3つを同時に求めれば、どこかに無理が出ます。

これは管理職個人だけでなく、経営側の問題でもあります。

過去分より怖いのは「正常化後の毎年の人件費」

経営者としては、未払い残業代の総額が気になります。

しかし私は、それと同じくらい、

正しく勤怠を付けた場合、来年から毎年いくら人件費が増えるのか

を見ます。

過去の未払い分は、一度精算すれば終わる可能性があります。

しかし現在の業務量を維持するために、毎年数千万円単位で人件費が増えるなら、それは事業モデルの問題です。

そこで初めて、

  • 採用する
  • 外注する
  • 夜間対応を集約する
  • 業務を効率化する
  • 担当物件数を見直す
  • 不採算顧客へ値上げ交渉する

という経営判断が必要になります。

顧客サービスを守るためにも価格を見る

営業部からすると、

「勤怠を正しくした結果、夜間対応ができなくなるのは困る」

となります。

その気持ちは分かります。

ただし、顧客へ提供しているサービスに必要な人件費が価格へ反映されていないなら、問題を社員の無償労働で埋めてはいけません。

私なら、顧客ごとに、

  • 夜間対応件数
  • 休日対応件数
  • 緊急出動回数
  • 必要人員
  • 実際の人件費
  • 売上総利益

を見直します。

必要であれば、契約内容や価格そのものを見直します。

法律上正しい勤怠管理をすることと、顧客サービスを守ることは対立する話ではありません。

適正なコストで提供できるサービスに作り直すことが経営の仕事です。

実務上のチェックポイント

私なら、少なくとも次の事項を確認します。

  • 直近数年の勤怠データ
  • PCログやメールの保存状況
  • 社用車GPSの保存期間
  • 入退館記録の有無
  • 夜間・休日の顧客対応履歴
  • 過去の残業申請却下の事実
  • 管理職による残業抑制発言
  • 固定残業代の対象者と時間数
  • 固定残業代を超えた場合の精算実績
  • 早朝・深夜・休日労働の実態
  • 退勤後の報告書作成時間
  • 36協定の内容
  • 保守物件数と人員数の推移
  • 正常な勤怠で必要となる人員数
  • 外注可能な業務
  • 顧客別の採算
  • 価格改定できる契約
  • 退職予定者以外の請求可能性
  • 若手社員の離職リスク
  • 管理職の評価制度

最初に守るべきものは何か

このケースで私なら、次の順番で整理します。

今の未申告労働を止める

証拠を保全する

実際の労働時間を把握する

過去の未払い額を算定する

正常化後の年間人件費を計算する

顧客別採算を見直す

採用・外注・契約・価格を再設計する

この順番が重要です。

過去の請求だけに集中すると、根本原因が残ります。

まとめ

未払い残業代問題が発覚すると、経営者は、

「いくら払えば終わるのか」

と考えます。

しかし私は、その前に確認します。

「この会社は、正しい人件費を計上しても利益が出るのか」

もし、誰かがタイムカードを切った後に働くことを前提として利益が出ているのであれば、それは持続可能な事業ではありません。

問題は、未払い残業代だけではありません。

人員配置、受注量、顧客との契約、価格、管理職評価までつながっています。

重要なのは、誰を責めるかではなく、会社を守れる仕組みに戻せるかです。

私は、

「過去の残業代をいくら払うか」より先に、「今日から残業を消さずに記録する会社」に戻す。

そして、正しい人件費を乗せても利益が出る事業へ作り直す。

それが、このケースの最初の一手だと考えます。


※本記事は一般的な経営判断の考え方を整理したものであり、個別案件における法務・労務上の判断を示すものではありません。実際の労働時間、割増賃金、固定残業代、時効、36協定その他の取扱いは、具体的な勤務実態、就業規則、賃金制度、証拠資料等によって異なります。

丸の内経営法律事務所

丸の内経営法律事務所は、企業法務を得意とする名古屋市の弁護士事務所です。これまでに関わった中小企業のトラブル解決数は 200件 以上となります。「関わった人全てを豊かにする」を企業理念に、名古屋市をはじめ東海エリアの中小企業を法務面・経営面から多角的にサポート。顧問弁護士として労働問題解消や契約書作成など、企業のトラブルを未然に防ぐリーガルリスクマネジメントにも尽力します。

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