刑事罰は「手段」です ― 三重県カスハラ条例から、経営者が受け取るべき本当のメッセージ

2026.10.17

2026年10月16日、三重県議会は、理不尽な要求や暴言など客からの迷惑行為「カスタマーハラスメント(カスハラ)」を防ぐため、全国で初めて刑事罰を盛り込んだ防止条例案を可決しました。来年4月に施行される予定です。私がこのニュースに強く関心を抱いたのは、罰則の重さそのものではありません。「法律は武器であり手段であり、目的ではない」という私の信条を、この条例が正面から問い直していると感じたからです。

まず、条例が定めた事実を整理します

条例は、大声を出すなどして不安を抱かせる方法での利益供与や、過剰な謝罪・面会の要求、ひわいな言動、つきまとい行為などを「特定カスハラ」と定義しました。従業員らが被害に遭った場合、事業者は録音や録画などの証拠とともに知事に申し出ます。識者らによる県の審査会が特定カスハラに該当すると判断すれば、知事が加害者に「禁止命令」を出し、それに従わなかった場合は捜査機関に刑事告発がなされます。裁判所が有罪と認めれば、50万円以下の罰金、または拘留、科料などの罰則が科される仕組みです。

条例の名称三重県カスタマーハラスメント防止条例(全国初の刑事罰付き)可決・施行2026年10月16日 三重県議会で可決 / 2027年4月1日に施行予定対象となる行為大声を出すなどして不安を抱かせる方法での利益供与、過剰な謝罪・面会の要求、ひわいな言動、つきまとい行為など(「特定カスハラ」)
手続きの流れ事業者による申出(証拠添付)→ 県の審査会による判断 → 知事による禁止命令 → 従わない場合は刑事告発
罰則50万円以下の罰金、拘留、科料など
三重県は2024年に有識者会議を立ち上げ、恐喝罪や強要罪などに当たるとまでは言えず、現行法令では対応できない行為について、罰則の対象にできるかどうかを検察庁などと協議を重ねてきました。罰則の導入には、事業者や労働組合からカスハラを抑止する効果が高いと評価する声があがる一方で、「消費者が正当な権利を主張することを妨げる恐れがある」と慎重な意見もあります。

可決後、報道陣の取材に応じた一見勝之知事は「諸外国と比べて日本は顧客の立場が強く、カスハラが多いとされてきた」と指摘し、「条例ができることで、三重県内ではカスハラ行為がなくなっていくと思います。罰則は抑止力としても意味があります」と述べています。

諸外国と比べて日本は顧客の立場が強く、カスハラが多いとされてきた。条例ができることで、三重県内ではカスハラ行為がなくなっていくと思います。罰則は抑止力としても意味があります。

― 一見勝之・三重県知事(報道取材への回答)

出典:朝日新聞「三重県で全国初の刑事罰付きカスハラ条例案が可決 来年4月施行へ」(2026年10月16日)

見落としてはいけない、もう一つの大きな流れ

三重県の条例だけを見ていると、視野が狭くなります。実はその手前で、国全体のルールがすでに動いています。2025年6月の労働施策総合推進法の改正により、2026年10月1日から、カスタマーハラスメントの防止措置が事業主の義務となりました。つまり、三重県の条例可決は「始まり」ではなく、「すでに義務化された時代における、より強い実効性を求める動き」として位置づけるべきものです。

三重県は、この義務化を踏まえ、事業主に雇用管理上必要な措置を義務付け、国が指針を示すとともに、カスハラに起因する問題に関する国・事業主・労働者・顧客等の責務を明確化する枠組みを整理しています。詳細は三重県のカスタマーハラスメント防止対策ページ、および厚生労働省のカスタマーハラスメント対策企業マニュアルをご確認ください。

この二つの事実を並べると、経営者の皆様が取るべき結論は明らかです。対策は、すでに「やるかやらないか」の選択肢ではなく、「どのように設計するか」という設計の問題になっています。

問題の本質は、条文の外側にあります

私は長く、紛争の現場に立ち会ってきました。そこで痛感してきたのは、トラブルの本質が法律の論点だけにあるのではないという事実です。カスハラも同じです。

背景にあるのは、多くの場合、満たされなかった感情です。無視されたという感覚、軽んじられたという思い、長く待たされた末の焦り。それらが言葉の暴力に変わっていく過程を、私は何度も見てきました。だからこそ、私は思います。罰則は確かに必要です。しかし、罰則だけで人の感情が消えるわけではありません。

法律は、感情を代わりに処理してはくれません。感情を扱えるのは、人の対話と誠実な対応だけです。この条例の真価は、罰則そのものより、「特定カスハラとは何か」を社会が言語化した点にあると、私は見ています。線引きが示されることで、現場は初めて「ここから先は受ける必要がない」と自信を持って言えるようになります。

刑事罰という手段を、どう評価するか

私は、刑事罰の導入を無条件に称賛する立場ではありません。同時に、感情的に反対する立場でもありません。評価の軸はただ一つ、社会全体の幸福が最大化されるかどうかです。

企業の現場では、正当なクレームとカスハラが混ざり合って発生します。だからこそ「消費者の萎縮」への懸念は、真剣に受け止めるべき論点です。消費者が正当な権利を主張できなくなる社会は、それ自体が不公正です。この懸念に対しては、感情的な賛否ではなく、制度の設計と運用で丁寧に応えるほかありません。

具体的には、申出の段階で事業者が証拠を整える仕組み、審査会による第三者の目、そして何より「正当な権利行使を萎縮させない」という運用原則を、明確に示し続けることです。知事が禁止命令を出す重い手続きだからこそ、初期段階で当事者間の調整を試みる余地を残す設計が望ましいと、私は考えます。

権利を守るための制度が、別の権利を傷つける。これが最も避けたい結末です。手段は目的に奉仕しなければ意味がありません。

顧客満足と従業員の尊厳は、対立しません

経営者の皆様に、私はこの点を強くお伝えしたいと思います。カスハラ対策は、顧客満足度を下げるコストではありません。中長期の企業価値を高める投資です。

理不尽な要求に従業員が一人で耐え続ける職場は、いずれ人材が離れていきます。人が離れれば、サービス品質が落ちます。品質が落ちれば、顧客も離れます。つまり、目の前の一人の顧客を守るために従業員を犠牲にする判断は、短期的には「顧客第一」に見えて、中長期では自社の土台を削っていることになるのです。

依頼者の利益は、短期ではなく中長期で捉えるべきです。これは経営判断においても、法務判断においても変わりません。だから私は、カスハラ対応を「従業員を守るため」だけの話にはしません。「会社の持続可能性を守るため」の経営課題として位置づけます。この視点の転換ができるかどうかが、これからの企業の分かれ目です。

そして、これは従業員の側の権利だけの話でもありません。声を上げにくい立場の方が、不当な扱いを受け続ける構造は、機会の平等を損ないます。不公正には明確にNOを示す。それは弁護士の仕事であり、同時に経営者の仕事でもあります。

感情を否定せずに、線を引くという仕事

ここで、私が実務で必ず意識していることをお伝えします。感情と合理は対立しません。感情を無視した合理は、現場では機能しません。

私が代理人として関わる紛争でも、最初に相手方が語るのは、法的な主張ではなく、不満であり、悲しみであり、怒りです。私はそれらを否定しません。まず受け止めます。そのうえで、事実関係を時系列に整理し、法的な論点を分解し、選択肢を提示します。感情は感情として尊重し、判断は判断として冷静に行う。この二つを分けて扱えるかどうかが、解決の質を決めます。

カスハラ対応でも同じです。従業員が受けた傷は、まず受け止める必要があります。そして同時に、「この要求にはどこまで応じるのか」「応じない場合に何が必要か」を、冷静に設計する必要があります。叱ることと、線を引くことは違います。相手を罰することと、自社と従業員を守ることも違います。ここを混同しないことが、中長期で見て最も健全な対応です。

事業者が今、準備すべき三つのこと

2027年4月の施行まで、残された時間は半年ほどです。そして国の義務化は、すでに2026年10月1日から始まっています。私が経営者の皆様にお勧めしている備えは、次の三つです。

  1. 対応の線引きを明文化するどの要求は受けるのか、どの要求は受けないのか。現場が迷わない言葉で示します。判断の基準が共有されていれば、従業員は一人で抱え込まずに済みます。
  2. 記録の仕組みを整える条例は録音や録画などの証拠を前提としています。日頃から自然に記録が残る運用にしておくことが、いざという時の当事者を守ります。
  3. 相談できる窓口を、外にも内にも用意する従業員が一人で抱え込まない体制は、離職防止にも直結します。三重県は事業者向けの相談窓口やアドバイザー派遣、セミナーを用意していますので、公的な支援を活用しない手はありません。

これらは、カスハラ対策ですし、同時に組織の健康を保つ投資です。制裁の話としてではなく、経営の基盤づくりとして捉えていただきたいと思います。

弁護士は、戦う存在であり、調整する存在です

私は、依頼者の代理人として強く主張すべき場面を数多く知っています。交渉で譲ってはならない線は必ずあります。しかし同時に、すべてを勝ち取ることが最善でない場面も知っています。過剰な勝利は、往々にして次の紛争の種になります。正義とは、適正な利益の実現であり、相手を打ち負かすことではありません。

だから私は、訴訟の前にできることを探します。感情を言葉に整える作業、事実関係を時系列で共有する作業、相手の事情に耳を傾ける作業。地味ですが、ここを丁寧に積むことが、最も高い確率で最適解にたどり着く道です。

三重県の条例も、同じ構造を持っています。いきなり刑事罰ではなく、まず申出があり、審査会があり、禁止命令があり、それでも従わない場合に告発がなされます。段階を踏む設計は、調整の余地を残す設計です。この設計思想を、私は評価したいと思います。

経営者の伴走者として、私が果たしたい役割

これからの弁護士は、単なる代理人ではありません。経営者の伴走者です。トラブルが起きてから呼ばれる存在から、トラブルが起きない仕組みを一緒に作る存在へ。カスハラ対応のマニュアル整備、録音・録画の運用ルール、従業員が相談しやすい窓口の設計、そして何より「現場が迷わない線引き」の共有。こうした事前の備えにこそ、私たちの出番があります。

一つの自治体が示した線引きは、必ず全国に波及します。数年後の自社を想像しながら、先に動いた企業が、結果として人材にも顧客にも選ばれる企業になります。

参考リンク

最後に

法律は、社会を良くするための手段です。罰則は、人が互いを尊重し合うための最後の砦にすぎません。

本質は、その手前にある人間の感情と関係性です。ここを丁寧に扱える組織と人だけが、長い時間軸で信頼を積み上げていくのだと思います。罰則がなくても自然と守られる現場を、一つでも多く作っていく。それが、私たち弁護士が社会の幸福の最大化に寄与する、最も確かな道です。

この条例を、私は「規制の始まり」ではなく「対話の再出発点」として捉えたいと思います。今日、自社の現場で、従業員の声に耳を傾けるところから始めてみてはいかがでしょうか。その小さな一歩が、数年後の貴社を支える土台になります。

自社の線引きと体制づくりを、一緒に整えませんか。

カスハラ対応の方針策定、社内規程・マニュアルの整備、録音・録画の運用ルール、従業員向け研修の設計まで、経営者の伴走者としてご支援します。まずはお気軽にご相談ください。

 

※本記事は2026年10月17日時点の情報に基づき作成しています。条例の施行時期・罰則の内容、国の指針などは今後変更される可能性があります。実務上のご判断にあたっては、三重県が公表する条例の確定版、および厚生労働省の指針をご確認ください。

丸の内経営法律事務所

丸の内経営法律事務所は、企業法務を得意とする名古屋市の弁護士事務所です。これまでに関わった中小企業のトラブル解決数は 200件 以上となります。「関わった人全てを豊かにする」を企業理念に、名古屋市をはじめ東海エリアの中小企業を法務面・経営面から多角的にサポート。顧問弁護士として労働問題解消や契約書作成など、企業のトラブルを未然に防ぐリーガルリスクマネジメントにも尽力します。

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